2012-03-26 第180回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号
今日は野国さんに、ハンビー飛行場西側のアメリカンビレッジ地域とか美浜地域とかハンビー飛行場の跡、こんなに変わりましたと、それを雇用の面から、経済面から、税収の面から、いや、アバウトでいいですよ、そういう説明を少しやっていただけぬかなと思っているんです。よろしくお願いします。
今日は野国さんに、ハンビー飛行場西側のアメリカンビレッジ地域とか美浜地域とかハンビー飛行場の跡、こんなに変わりましたと、それを雇用の面から、経済面から、税収の面から、いや、アバウトでいいですよ、そういう説明を少しやっていただけぬかなと思っているんです。よろしくお願いします。
それから北谷のハンビー飛行場の跡、今向こうはアメリカンビレッジとか美浜地域とか、沖縄一の若い人々の集まるそういう町に変わりましたね。ハンビー飛行場に働いておる人々は百名以内でした。ところが、今はもう何万でしょう、あの一帯。 そして、具体的な数字を手に入れましたから、ここでは、少し古い資料ですが、那覇空軍・海軍補助施設を固定資産税収で私は調べてみたんです。
基地脱却の思いを込めてつくられた北谷町の美浜地域は、多くの町民や若者たちが集う場所として発展し続けている。実際美浜地域は、基地依存からの脱却を図る地域活性化成功例として全国的に注目を集めている。このような美浜地域で、傍若無人な、女性の人権を踏みにじる暴行事件が引き起こされた。美浜地域で事件が起こったことを一つの注目に入れています。
去年の八月十四日に、三方、美浜地域に約二百ミリといいますか、百数十年ぶりと言われる集中豪雨がありました。そのときに、私もお盆に帰っておったのですが、すぐ、十五日と十八日と二回、現地を見にまいりました。そのときに、三方という町へ参りますと、町長さんが、今現地へ行って美浜の町長と協議中で、不在でしたね。それから美浜町というところへ行くと、同様に町長が現地で三方の町長と、両町長で協議をしているという。